街並みのを整える レストランの外観と町の関係
京都や金沢などの古い町は景観条例という法律があり赤や黄色の看板が使えない、制限されるのだが、実はこれはとても良いことなのかもしれない。
商売柄「赤」や「黄」を使った看板は良く目立つので、基本的に目立つ看板をよしとするのだが。
京都は茶色の壁に白と黒の看板、それも漢字の看板がにあっているように思う。
これがラーメン屋で赤や黄色とは一切ない。
京都らしく足袋屋があるというのもすごいが、この看板は普通の街にはないような気がする。
東京浅草で手ぬぐいやと足袋やは一軒ずつ見た記憶があるくらいで。
世の中足袋の専門店でどうやって商売になるの課という疑問はさておき。
蕎麦屋は実にそれらしい雰囲気で、ニシンそばなど食べてみたいなと思わせる。
たたずまいという言葉がぴったりとにあう街なのだろう。
そんな京都の町にあるイノダコーヒー本店も外から見ると喫茶店とは思えない。中に入るとそれなりに現代的な空間ではあるので、そのギャップというかびっくり感というか、良い意味で期待を裏切る楽しさを演出している。
食べ物やとはこうあるべきだという好例。お客さんが自転車で来る店とはまさしく地元密着。
レトロな煉瓦作りの建物も今やクラシックというより懐かしさに通じる感覚で、お蔵を改造したレストランと同じように、一種独特の落ち着きをかもしだす。こんなお店は覗いてみたくなる。
街を歩いて見つけた歯医者の看板、それすら「ある趣」を醸成するのは、街の人がそれぞれ自分の街を良くわかっている、あるいはどういう町にしておきたいという意思があるからなのだろう。
当然その町で商売をするものはその意思と同化すべきである。
鴨川沿いの料亭では、川床の支度が始まっていた。今の時代でこの屋外の客席はレストランの演出でしかないとは思うが、それでも大事にしたい経験なのだろう
。
京都の夏の暑さは殺人的なので、気分だけでも涼しくありたいということではあろうが、実際はクーラーのきいた室内のほうが絶対涼しいから、矜持というべきものなのかもしれない。
街歩きをしながら考える。
京都の人たちの「維持」することへの執念、意思をもう少し深掘りするといいのだろう。
京都の人たちの「維持」することへの執念、意思をもう少し深掘りするといいのだろう。
そして、東京の渋谷や新宿といった「変わることが街を維持する」ことであるという、まったく正反対の街との比較も面白い。
その町にあわせた食べ物屋の商売につながる考察が重要だ。
その町にあわせた食べ物屋の商売につながる考察が重要だ。
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